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仙台地方裁判所 昭和49年(ワ)244号 判決 1977年3月30日

原告 佐々木昭博

原告 佐々木直美

原告兼右両名法定代理人親権者母 佐々木伊子

右原告ら訴訟代理人弁護士 菅野敏之

同 菅野美穂

被告 有限会社東亜電設

右代表者代表取締役 平井渡

被告 日本電設工業株式会社

右代表者代表取締役 川上壽一

右被告ら訴訟代理人弁護士 大川実

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は「一、被告らは各自、原告佐々木伊子に対し金三八〇万円、原告佐々木昭博、同佐々木直美に対し各金一九〇万円及び右各金員に対する昭和四七年五月三日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。二、訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、請求原因として、

一  事故の発生

被告有限会社東亜電設の電気工の佐々木昭三は昭和四七年四月二八日午後一時四五分頃、訴外十条製紙株式会社石巻工場(以下十条製紙石巻工場という。)に於て作業中、砕木盤内に収納されている高電圧が通電中の三本のケーブル線のうち切り離されていた一本に接触して全身に火傷を負い、同年五月二日午前七時三五分死亡するに至った(以下本件事故という。)。

二  被告らの責任

(一)  被告日本電設工業株式会社(以下被告日本電設という。)は訴外十条製紙株式会社(以下十条製紙という。)から同社石巻工場における幹線ケーブル施設工事を請負い、その一部を被告有限会社東亜電設(以下被告東亜電設という。)に下請させていた。

(二)  被告東亜電設の従業員高橋豊は、昭和四七年四月二六日午後五時頃右工場内の作業現場であるGP電気室において被告日本電設仙台支社工事第二課長中島千代吉及び同課係員畑田征秀両名の指示監督のもとに第二特高変電所屋外高圧盤No.1砕木盤からGP電気室内配電盤に通ずる高圧地下ケーブル線三本(三本一組で埋設されている。)のうち一本を切り離す作業に従事していたものであるが、同室内の右ケーブル立ちあがり部分で右ケーブルを三本とも切り離し、砕木盤側で同様の切り離し作業をしている被告東亜電設従業員佐藤茂と右切り離した各ケーブルに順次携帯電話機を接続して通話する方法で切り離すべきケーブル一本を特定したうえ、他の二本を再び接続しようとした際、誤って右切り離しておくべきケーブルを接続し、右佐藤が砕木盤側で接続したケーブルをGP電気室の配電盤側で切り離した過失により、また右中島、畑田両名は右ケーブルの切り離し作業につき、検電等の方法により結線の正誤を確認し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務を怠った過失により本件事故を惹起したものである。

(三)  したがって被告らはその従業員の右過失により惹起された本件事故につき、それぞれ民法七一五条により使用者として責任を負うものである。

三  損害

(一)  原告らの身分関係

原告佐々木伊子は前記佐々木昭三の妻、原告佐々木昭博、同佐々木直美は右昭三の子であり、原告らはいずれも右昭三の相続人である。

(二)  逸失利益  金九六〇万七五五九円

1  亡佐々木昭三は本件事故当時四三才の健康な男性で被告東亜電設に電気工として勤務していたものであり、その給与は生前五ヶ月平均で月額八万八二〇一円であり、これを基準に算出すると、生活費をその三分の一とみて計算すると昇給率その他を全く考慮に入れないでも同人の年収純利益は金七〇万五六〇八円となる。

2  同人の就労可能年数は二〇年間(六三才まで)であり、そのホフマン係数は一三・六一六であるから右係数を乗ずると右昭三の逸失利益の現価は合計金九六〇万七五五九円となり、これを原告ら三名が各三分の一宛(金三二〇万二五二〇円)相続したものである。

(三)  慰藉料       金四六〇万円

1  被害者本人は前記のとおり昭和四七年四月二八日午後一時四五分全身火傷の被害を受け、同年五月二日午前七時三五分石巻市石巻赤十字病院にて死亡したものであって、その間の精神的肉体的苦痛に対する慰藉料は金六〇万円が相当である。

この本人の慰藉料については原告ら三名が三分の一宛(金二〇万円)これを相続したこととなる。

2  原告ら遺族の慰藉料は一家の主人であり父親を失ったことにつき、原告伊子が金二〇〇万円、同昭博、同直美が各金一〇〇万円宛とするのが相当である。

四  損益相殺

原告らは昭和四七年五月二六日被告東亜電設より慰藉料として金三〇〇万円の交付を受けてこれを受領しているので前記損害額から原告佐々木伊子二、原告佐々木昭博一、原告佐々木直美一の割合で該金員を控除する。

(医療費、葬儀費用等の損害については被告側で支払済なので特に計上しない。)

五  弁護士費用      金六〇万円

原告らは本件請求訴訟につき、やむを得ず原告訴訟代理人に委任したものであり、弁護士費用として原告ら各金二〇万円宛合計金六〇万円が相当損害額として認められるべきものである。

六  結論

以上原告らの損害を合計すると金一一八〇万七五五九円となるが、原告らはこのうちとりあえず、原告佐々木伊子において金三八〇万円、その余の原告らにおいて各金一九〇万円の各支払いを求めることとし、右各金員とこれらに対する本件事故の日である昭和四七年五月三日から完済まで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ次第である。

と述べ、被告らの抗弁に対し、被告ら主張のとおりの示談が成立したこと、原告らが示談金三〇〇万円の外遺族年金を受領していることは認めるが佐々木昭三に重大な過失が存することは否認すると述べ、再抗弁として、

一  示談書作成の経緯・事情

(一)  佐々木昭三が本件事故により昭和四七年五月二日死亡した後、一家の大黒柱を失いあとにとり残された妻の原告佐々木伊子は、長男昭博(事故当時八才)、長女直美(事故当時六才)の二人の遺児を抱えて、将来の生活に対する不安と、最愛の夫を突然失ったことによる精神的打撃から当時ノイローゼ状態になっていたものであるが、その精神的状態の下にあった同月二〇日頃、被告東亜電設の平井社長から「会社をつぶさないでくれ。」等と申向けられ、更に同月二二、三日頃右同氏と被告日本電設東北支店の佐々木等から「会社では金は出せない。だから労災保険をもらうより仕方がないが、労災をもらうには示談が必要なので示談書を書いてくれ、若し示談書が出来なければ、今度の件から会社は手を引く、そうすれば労災保険がもらえなくなって一番困るのは奥さんや子供さん達だし、そうならない為にも示談書を書いてくれ。会社からは私達が話して何んとか三〇〇万円位は出させるから、できれば即金で出させることにするから。」等と申し向けられた為、労災保険がもらえなくなると全く生活が出来なくなると思い、そのことを同原告の実弟門馬博文に相談の上、労災保険がもらえなくなると大変だということで冷静に判断するいとまもなく本件示談を成立させたものである。

(二)  そして、昭和四七年五月二六日、原告ら方で本件示談書に押印させる際も、被告らはあらかじめ一方的に用意してきた不動文字印刷の示談書の原告氏名下を示し、ここに印を押していただくだけで結構ですと原告伊子に押印させたものであるが、その際労災保険に無知な原告伊子は、前記平井および佐々木等の言を信用し、右示談行為は労災保険等をもらうための前提手続であり、右示談成立によりはじめて労災保険がおりる旨を信じて押印したものである。

二  従って、本件示談は

(一)  被告会社ら関係人が、自己の損害賠償債務を不当にまぬがれる企図のもとに、被害者遺族らの生活が困窮に陥らざるを得ない状態を利用すると共に、その無知・無思慮・無経験に乗じて虚言を弄し、かつ会社の優位な立場を利用して一方的になさせたものである。又、内容的にみても、例えば交通事故で一家の大黒柱が死亡した場合は、判例や自賠責等でも遺族の慰藉料だけでも金四〇〇万円をみとめているのに、被告らの全負担額が右金額にも満たないものであり、不当であるといわざるを得ず、本件示談契約は公序良俗に反し、民法九〇条により無効である。

なお本件示談書中の例文的文言たる「本件に関し訴訟等一切しないこと」という点をとらえて、被告らは不起訴の合意だと主張するが、この点についても何ら効力を持つものではない。

(二)  更に、本件示談は被告会社らの平井・佐々木等の詐言を信用したものであり、労災保険がもらえなくなると生活ができなくなり大変なことになるので、労災保険がもらえるようにするためにやむなく示談をする旨原告伊子はその動機を表示しており、それは相手方の説明によるものであるから、法律行為の内容の錯誤であり右示談契約は無効であって、しかも原告伊子には何ら落度はない。

(三)  又、以上の如く本件示談の際の原告伊子の意思表示は、被告会社係員の詐欺による意思表示であるので、原告らはここに右意思表示を取消すものである。

と述べ、

《証拠関係省略》

被告ら訴訟代理人は、本案前の申立として「一、原告らの請求を却下する。二、訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、右申立の理由として、本件事故に関しては後記のとおり昭和四七年五月二六日原告らと被告らとの間に示談が成立し、不起訴の合意がなされたのであるから、右に反して提起された本訴は権利保護の利益ないし必要性を欠き不適法であると述べ、本案の申立として主文第一、二項同旨の判決を求め、請求原因に対する答弁として、

一  請求原因第一項の事実中、ケーブル線に接触したとの事実を否認し、その余は認める。

二  同第二項中

(一)  (一)の事実は認める。

(二)  (二)の事実中、中島千代吉及び畑田征秀が指示監督していたこと、及び右両名の注意義務及び過失の存在はいずれも否認するが、その余は認める。

(三)  (三)の事実は争う。

三  同第三項中、(一)の事実は認めるが、その余は争う。

四  同第四項中、被告らが原告らに対し原告ら主張の日時に金三〇〇万円を支払ったこと、被告らが医療費、葬儀費用等を支払っていることは認めるが、その余は争う。

五  同第五項は争う。

六  本件事故発生に至る経緯は次のとおりである。

(一)  被害者佐々木昭三は、被告東亜電設が被告日本電設より下請をした十条製紙幹線ケーブル工事につき、同東亜電設よりその工事現場における最高の責任者(同人は本件事故当時は同有限会社の取締役および作業長の地位にあった。)として現場である訴外十条製紙石巻工場構内工事現場に昭和四七年四月五日より派遣された。

(二)  同佐々木は右現場においては、右下請工事の施行につき東亜電設の代表者として日本電設側の現場代理人畑田征秀と作業上の打合せおよび連絡を行い、作業の実施については作業長として原告らの主張する訴外高橋豊、同佐藤茂等の被告東亜電設の従業員らを直接指揮監督し原告ら主張の工事を施行してきた。

(三)  しかるところ、同佐々木は、下請工事着工の当初、訴外十条製紙石巻工場側と被告らとの打合せで原告ら主張のGP電気室配電盤と同所より約三〇メートル離れた第二特高変電所屋外高圧No.1砕木盤を結ぶ地下ケーブル線三本の中一本の切り離し作業は、昭和四七年四月二六日の停電日に行い、右切り離し作業により切り離したケーブル線の右No.1砕木盤からの移設作業は同四月三〇日の停電日に行うこととされ、右以外の日には右砕木盤を開扉して作業をしてはならないことになっていたのを知っており、且つその後、本件事故発生の前日である同四月二七日、被告東亜電設社長平井渡からも、右砕木盤からの移設作業は同月三〇日の停電日に行うので翌日の二八日には前記切り離したケーブルに継足する不足ケーブル約五メートルの片側の端末処理作業だけを行い、右砕木盤を開扉して作業してはならない旨の注意を受け、さらに同月二八日午前一二時頃の佐々木と被告日本電設側との打合せでも前記のことが確認され、右佐々木において右砕木盤を開いてはならないことを充分承知していたにも拘らず同日午後一時四五分頃右佐々木は無謀にも誰にも連絡せず無断で右砕木盤をあけた。しかもその際佐々木は検電もせず、短絡接地器具(アース)をとりつけず、保護具も装備しなかった。なお、通電中は右砕木盤の正面の電源表示灯に赤色灯が点灯され、どんな場合でも砕木盤の開扉が厳禁されていた。

佐々木が火傷(感電ではない)したのは、右砕木盤を開扉した直後の二八日午後一時四五分頃である。火傷の原因は無断で砕木盤を開扉した後、同砕木盤の中に収納されている地下ケーブル線の立上り三本のうち同月二六日に切り離されていた一本のケーブル線(他の二本は高圧母線に結線されている)をその下のピット(凹部分)に引き落そうとした時に同線の先端を誤って鉄板プレート等に接触させ、その際発生したアークを体の前面に浴び受傷したものと推認される。

同佐々木は受傷後直ちに入院し、療養中のところ五月二日午前七時三五分死亡するに至った。

と述べ、抗弁として、

一  本件事故に関しては昭和四七年五月二六日原告らと被告らとの間に左記示談が成立し、原告らは示談金三〇〇万円を受領し、被告らに対するその余の賠償請求権を放棄したものである。

(一)  被告らは、原告らに対し、金三〇〇万円を昭和四七年五月二六日に現金で、遺族代表の妻佐々木伊子に支払う。

(二)  被告らは、労働者災害保障保険並びに厚生年金保険の遺族年金の受給手続については、全面的に協力する。

(三)  原告らは、金銭の受領により、本件のことに関し、名義のいかんを問わず、金銭の請求はもとより、訴訟等一切しないこと。

二  仮に右主張に理由がないとしても、本件事故の発生については佐々木昭三にも重大な過失が存するから過失相殺されるべきであるところ、原告らは前記示談金三〇〇万円の外昭和五一年一〇月までに合計金三、六三四、四二六円の遺族年金(労災遺族年金及び厚生遺族年金)も受領し、今後も年金が支給されるのであるから、結局原告らの本訴請求は棄却を免れないものである。

と述べ、原告らの再抗弁に対し、

一  同第一項中、佐々木昭三が原告ら主張の日時に死亡し、同人の妻である原告佐々木伊子が原告ら主張の二人の遺児を抱えて生活することになったこと、原告ら主張の当事者間において示談の交渉がなされたこと、原告ら主張の日時に原告伊子が同人宅で本件示談書に調印したことはいずれも認めるが、その余は全て否認ないし争う。

二  同第二項は否認ないし争う。

三  本件示談に至る経緯及び本件示談の妥当性

(一)  本件事故後の昭和四七年五月一〇日に至り被告東亜電設代表取締役平井渡及び被告日本電設東北支店総務課長佐々木重一が原告ら宅を訪れたが、その際、原告伊子との間に原告らの今後の生活、遺族年金あるいは補償等が話題にのぼり、席上右平井らが本件については示談で解決したい旨提案したところ原告伊子の賛意を得たことから右示談については後日交渉することとなり、同月一九日に原告ら宅で原告伊子の実弟門馬博文立会のもと再び右平井らと原告伊子の間に交渉がもたれ、労災事故による遺族年金の受給額及びその手続についての説明の外、右受給手続は被告らにおいてこれをなすこととし、示談についてはその具体的案文を被告らにおいて作成することとなった。

(二)  そこで被告らは、一応具体案を作成し提示することとし、そのため一般企業における災害補償における措置の実際例や、妥当額について関係方面に照会する等したうえ、各会社内で検討し、その結果(1)本件死亡事故の発生原因、(2)被告らが本件死亡事故により原告らのため支払った費用、(3)労災給付の遺族補償年金額、(4)その他一切の事情を勘案して別途金三〇〇万円を支払うことが最も妥当であるとの結論に達し、次の三つの事項を内容とする第一次示談書案を作成し、同年五月二二日前記平井、佐々木は原告伊子宅を訪問し、伊子および門馬博文(同席者)に対し右示談案を説明した。

(第一次提案内容)

(1) 被告らは労働者災害補償保険並びに厚生年金保険の遺族年金の受給手続について全面的に協力する。

(2) 被告らは原告らに対する慰藉料金三〇〇万円を昭和四七年五月 日まで現金で遺族代表の妻佐々木伊子に支払う。

(3) 原告らは今後本事故についてどんな事情が生じても裁判上、裁判外において一切異議の申立てをしない。

右平井らは、まず、右(2)の金三〇〇万円の根拠について前記の点から種々説明し、原告伊子は「被告らおよび関係者にいろいろお世話になったこと等を述べ私としては金三〇〇万円については了解する。しかし親戚とも相談したいので正式に受諾する時は連絡するのでそれまで待って欲しい。」と述べ、被告らもこれを了とし「十分相談し検討して下さい。」と述べた。

次に前記(1)の条項(原告伊子から遺族年金額等につき再三の照会や受給手続を被告らにおいて行われたいとの要望があったこと等からむしろ入れることが原告らの要望にそうものと考えて第一次案に入れたものである。)について被告らの前記佐々木、平井が説明し、もとより原告らにも異存はなかったが、原告伊子から、金三〇〇万円の条項を(1)とし、前記受給手続に関する条項を(2)とされたいとの修正意見が出され、右平井らも伊子の修正意見に同意した。

前記(3)の条項については前記平井、佐々木が本件示談で一切解決するもので、示談が成立すれば今後金銭的請求はできないし訴等も提起できないし、すべてこれで終わるものである等の条項の意味や入れた理由等について説明し、原告側からは何等の異議もなかった。

なお右席上原告伊子から本件示談の立会人として同人の実弟である門馬博文を入れ、亡佐々木昭三の親族の名前は入れないでほしい旨の申出がなされたので平井らもこれを承諾した。

(三)  その後の同月二三日、右平井らは原告伊子宅を訪れ、同原告の前記申出に応じて修正した第二次示談書案を示したが、これに対し同原告は「慰藉料の金額及び示談調印の月日は親戚と相談してから改めて連絡するから、それまで待ってほしい。その他の条項は結構です。」と述べ、同月二五日には同原告から前記佐々木重一に対し「金三〇〇万円ということで五月二六日調印し示談書を取り交したい。」との電話があった。

(四)  そこで同年五月二六日前記平井社長被告日本電設の取締役東北支店長大槻薫、同支店佐々木課長の三名が、前記の経緯で作成した示談書をタイプにし、これを調印場所である原告方に持参した。原告側の出席者は原告伊子、同人の実弟門馬博文、亡佐々木昭三の実兄佐々木浄、同佐々木茂樹(警視庁の警察官の勤務を経て書道教室を経営)であり、それぞれ示談書を一覧し、同伊子から「慰藉料についてはいろいろの事情等を考慮して親戚等に相談した結果三〇〇万円で了承します。」との発言があり、ついで同伊子の立会人門馬博文の姓が間違っているとの原告伊子の指摘により、「門間」を「門馬」と訂正した後原告らと被告側の調印が行われ、現金三〇〇万円は被告側より原告側に直ちに渡された。

以上により本件示談は有効に成立するとともに金銭の履行により本件は全く円満に解決をみたのである。

なお、労災保険および厚生年金保険の受給手続も被告らにおいて行い、原告らは両遺族年金を受給している。

(五)  また原告らは本件示談の金額が不当である旨主張するが、前記のとおり本件事故は亡佐々木昭三の重大な過失により惹起されたものであり、被告らは本件示談金三〇〇万円の外にも葬儀費用等合計八九万八一九円を支払っていること、原告らは本件事故により労災保険から将来にわたり少くとも合計二三〇一万二九九三円の遺族補償年金を受けることができ、本件事故当時のその現価は一二六七万九〇九一円に及ぶこと、更に右示談金額は本件事故当時の一般企業の補償事情に照らしても遜色のないものであること等の事情に照らすと本件示談は正しく妥当なものと言うべく、原告らの主張は何ら理由のないものである。

と述べ、

《証拠関係省略》

理由

一  本件事故の発生及び原告らの身分関係

被告東亜電設の電気工の佐々木昭三が、昭和四七年四月二八日午後一時四五分頃、十条製紙石巻工場で作業中、砕木盤内に収納されている、切り離してある通電中のケーブル線の電流により全身に火傷を負い、同年五月二日午前七時三五分死亡したこと及び原告佐々木伊子が右昭三の妻であり、原告佐々木昭博、同佐々木直美が右昭三の子であり、いずれも同人の相続人であることは当事者間に争いがない。

二  本件示談の成立

本件事故に関して、昭和四七年五月二六日、原告らと被告らとの間に被告ら主張のとおり左記示談が成立したことについては当事者間に争いがない。

1  被告らは原告らに対し慰藉料として金三〇〇万円を昭和四七年五月二六日に現金で遺族代表の妻原告佐々木伊子に支払う。

2  被告らは労災保険並びに厚生年金保険の遺族年金の受給手続について全面的に協力する。

3  原告らは金銭の受領により、本件のことに関し、名義の如何を問わず金銭の請求はもとより、訴訟等一切しないこと、

原告らは右示談契約は公序良俗に違反し、原告伊子の錯誤によるものであり、かつ被告らの詐欺による意思表示である旨主張するので、本件事故ならびに示談契約に至る経緯についてまず検討する。

被告日本電設が訴外十条製紙から同社石巻工場における幹線ケーブル施設工事を請負い、その一部を被告東亜電設に下請させていたこと、被告東亜電設の従業員である高橋豊は昭和四七年四月二六日午後五時頃、右工場内の作業現場であるGP電気室において作業中、第二特高変電所屋外高圧盤No.1砕木盤からGP電気室内配電盤に通ずる高圧地下ケーブル線三本(三本が一組になって埋設されている。)のうち一本を切り離す作業に従事していたものであるが、同室内の右ケーブル立ちあがり部分で右ケーブルを三本共切り離し、砕木盤側で右ケーブルを切り離していた被告東亜電設従業員佐藤茂と右切り離したケーブルに順次携帯電話機を接続して通話する方法で切り離しておくべきケーブル一本を特定したうえ、他の二本を再び接続しようとした際、誤って切り離しておくべきケーブルを接続し、切り離すべきでないケーブルを切り離して了ったため、右佐藤が砕木盤側で再び接続したケーブルのうち一本をGP電気室側で切り離してしまう結果となったことは当事者間に争いがないところ、《証拠省略》を総合すれば、

(一)  前記昭和四七年四月二六日の幹線ケーブルの切り離し作業は、同日が十条製紙の従業員のストライキにより停電日となるから同日切り離し作業をしてほしい旨十条製紙から申出があったため十条製紙石巻工場における工事の総括者である被告日本電設第二工事課長中島千代吉から同監督員畑田征秀を通じて下請会社である被告東亜電設の現場における責任者の佐々木昭三に指示がなされたが、たまたま右佐々木昭三が手の離せない他の仕事に従事していたので、同人の依頼で右畑田が被告東亜電設従業員の前記高橋豊、同佐藤茂に対し直接指示を与えて前記のとおり切り離し作業をなしこれを終了したものであるところ、右佐々木昭三も自分の仕事が終った後右ケーブルの切り離された状態を見分し切り離し作業の終了を確認したこと、

(二)  右No.1の砕木盤側で切り離したケーブルについては、これに約四メートルのケーブルを継ぎ足してNo.5の砕木盤に接続することになっていたが前記No.1を含め砕木盤ケーブルには三、三〇〇ボルトの高圧電流が流れておる関係上危険な作業であるので、昭和四七年四月三〇日、五月一日の両停電日(十条製紙石巻工場内の電気を一斉に停止する日)に行うことが十条製紙及び被告ら両社の間で確認されており、亡佐々木昭三も作業責任者としてその旨了知していたこと、

(三)  亡佐々木昭三は昭和四七年四月二八日、被告東亜電設社長の平井渡から継ぎ足すべき前記約四メートルのケーブルについて、同ケーブルを継ぎ足すための準備として端末処理をしておくよう指示され、人夫二人を助手に使って右作業に従事していたが、端末処理に必要な工具が不足であったので、右の人夫二人に事務所の方に工具を取りにやらせている間に、通電中のNo.1砕木盤を、通電中であることを知りながら敢て開錠のうえ開扉し、前記高橋が切り離した通電中のケーブルを砕木盤から取り外ずそうとしたものであるが、前記のとおり砕木盤には三、三〇〇ボルトの高圧電流が流れていたのであるから通電中に砕木盤の扉を開けること自体危険であるにも拘らず、昭三は絶縁保護具も使用しないで右のように砕木盤の扉を開けたため、右通電中のケーブルが砕木盤の鉄板に触れて発生したアーク(火花)を体の前面に受け火傷を負い前記のとおり死亡したものであること、

(四)  佐々木昭三は前記のとおり昭和四七年四月二八日受傷し、直ちに石巻赤十字病院に収容されたが同年五月二日死亡し、同月四日同人の葬儀が行われたこと、右葬儀は被告東亜電設の平井社長を始めその関係者が参会して同会社の費用負担で行われたこと、その際あるいはその後に二、三度にわたり右平井社長が原告伊子に対し、被告東亜電設の窮状を訴え、あるいは同月六日同社を退職したい旨申し出た右原告の実弟門馬博文に対しても、被告日本電設に対しては労災給付以外の迷惑をかけない旨の約定のある被告日本電設の被告東亜電設に対する注文書を示し、万一事故が発生しても被告日本電設に迷惑をかけないことになっている旨訴え、右門馬は姉の原告伊子にその旨伝えたこと、しかしながら右注文書の趣旨にもかかわらずその後の実際の示談交渉は被告東亜電設のみならず被告日本電設をも相手として開始され右両社との間に本件示談が成立するに至っていること、

なお被告東亜電設は資本金一〇〇万円、従業員五名の有限会社であり、特に資産といえるものもなく、被告日本電設からの本件下請についてもその作業機械等は一切右日本電設が用意し、右下請の代金も金二二〇万円にすぎなかったこと、

(五)  佐々木昭三の死亡によりその妻である原告伊子は昭三の子供である原告昭博(昭和三九年四月二七日生)及び同直美(昭和四〇年一一月一九日生)を抱えて生計をたててゆくことになり、右原告昭博、同直美がいずれも未成年者であったことから、母親である原告伊子が右昭三の相続人の代表として同人死亡後の一切を取り行ってきたところ、昭和四七年五月一〇日頃になって被告東亜電設の平井社長、被告日本電設東北支店総務課長佐々木重一の両名が原告ら宅(仙台市原町苦竹樋下中一〇一の四、転居前のもの、以下同じ。)を訪れ、原告らの今後の生活あるいは遺族年金等に話題が及んだ際、右平井らから本件事故の補償については示談で解決したい旨の申出がなされ原告伊子がこれに賛意を表したため、以降示談の交渉を続けることになったこと、

しかしながら当時の原告伊子にとっては今後の生活資金となる労災保険の遺族年金の受給手続及びその支給額が大きな関心事であり、右一〇日以降にも三回程被告日本電設の佐々木に電話で遺族年金の件を問い合せるなどしていたので、同月一九日再び原告ら宅を訪れた平井、佐々木の両名との話し合いも同席した門馬博文を交えて右遺族年金の受給手続を中心にしてなされ、右佐々木は、労働基準監督署で右手続に必要な書類を書き出してもらったメモを示しながら遣族年金の受給手続を説明し、原告伊子の申出により、右手続については被告らにおいてこれをなすことを約し、なお示談の件については原告伊子からホフマン方式による計算の要望があった外は特に具体的な申出もなかったことから次回までに被告らにおいて案文を作成することになったこと、

そこで被告らは一応具体案を作成することとし、そのため一般企業における災害補償の実際例等について関係方面に照会する等して被告ら各社内で検討した結果、当時労災事故の場合における一般企業の特別補償(労災保険給付以外の補償)額はおおよそ三〇〇万から五〇〇万円の範囲内で、中小企業では特別補償を出していないものもかなりあったこと、被告日本電設では従業員の労災事故について最高三〇〇万円までの特別補償を支給する旨内規で定められていたこと、その他本件事故の発生原因、被告らが本件事故につき原告のために支払った費用(当時被告らは、亡佐々木昭三の病院費用、葬儀費用等で既に八〇万円近くの金員を支払っていた。)、原告らに支給される労災保険の遺族年金給付額(昭和四七年五月の支給決定額は金五五万二二四五円、但し厚生年金一一万七六〇〇円を併受するため、規定により金四九万三四四五円に減額、なお原告昭博、同直美の若干の労災就学援護費、以上は本件事故後毎年支給される見とおしであった。)等の事情をも考慮して本件の場合も被告日本電設の従業員に準ずる者として同会社の内規で定めている最高額の金三〇〇万円を支払うことの結論に達し、左記約定の示談案(第一次示談案という。)を作成したうえ、これを同年五月二二日平井、佐々木の両名が原告ら宅を訪れ、原告伊子及び同席した門馬博文にこれを示して右示談案の内容についてこれにより今後一切の請求ができなくなることを含め説明したこと、

(第一次示談案)

1 被告らは労災保険並びに厚生年金保険の遺族年金の受給手続について全面的に協力する。

2 被告らは原告らに対する慰藉料金三〇〇万円を昭和四七年五月(空欄)日までに現金で遺族代表の妻原告佐々木伊子に支払う。

3 原告らは今後本件事故についてどんな事情が生じても裁判上、裁判外において一切異議申立をしない。

(六)  原告伊子は第一次示談案に対する右平井らの説明に対して同案の1項と2項の順序を逆にしてほしい旨告げた外には特に異議は述べず、示談金の三〇〇万円についても一応了承するが、親戚とも相談のうえ、正式に受諾する際は同人から被告らに連絡する旨述べたが、同時に、佐々木昭三の親戚の者が本件示談に介入してくることを恐れていたため、本件示談の立会人を昭三の親戚の者ではなく自分の弟である門馬博文としてほしい旨特に付言したので、平井らもこれに応じたこと、

(七)  そこで平井らが右原告伊子の要望どおりに修正した第二次示談案を翌日の五月二三日に原告ら宅に持参したところ、原告伊子はこれを了承し、なお示談金の金額及び調印の日時については親戚とも相談のうえ改めて連絡すると述べ、その後、同月二五日になり、右三〇〇万円で翌日示談書に調印したい旨被告日本電設の佐々木課長に電話連絡してきたことから翌日の五月二六日右第二次示談案により示談することとなったこと、

(八)  本件示談の成立した昭和四七年五月二六日には、被告側から、被告日本電設東北支店長大槻薫、同総務課長佐々木重一、被告東亜電設社長平井渡の三名、原告側から原告らを代表する原告伊子、立会人門馬博文、亡佐々木昭三の実兄の佐々木浄、佐々木茂樹(元警察官)が原告ら宅に参集し、被告らの持参提出した甲第一号証(乙第一号証)の本件示談書(前記第二次示談案を被告側でタイプしてきたもの)を原告伊子外原告側の人達が順次閲覧してその内容を確認し、その際原告伊子の指摘により立会人氏名の「門間博文」を「門馬博文」と訂正したうえ、双方合意して円満裡に前記内容の本件示談書の調印が行われ直ちに示談金三〇〇万円が原告らに支払われたものであること、

を認めることができ、前掲証拠中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三  本件示談の効力

原告らは本件示談契約は被告会社らの平井、佐々木らが本件示談契約が成立しないときは労災保険給付がもらえない旨詐言を用い原告伊子がその旨誤信し労災保険給付が受けられるようにするため締結したもので要素に錯誤があり、かつ被告らの詐欺による意思表示である旨主張し、これに副うような証人門馬博文の証言および原告佐々木伊子本人尋問の結果もあるけれども、前認定の示談の経過等によれば原告側においては原告伊子の実弟らも加え慎重に検討したうえ本件示談契約を結んだものであることが窺われ、これらの事実および《証拠省略》に照らすと、右原告主張に副う門馬証言および原告本人尋問の結果はにわかに措信し難く、他に右原告ら主張事実を認めるにたりる証拠はない。

また、原告らは本件示談契約が公序良俗に違反する旨主張するが、調査嘱託の結果によると、原告伊子は本件事故発生前の昭和四七年四月一九日からひまん性甲状腺腫の病名で国立仙台病院に通院し、精神安定剤、消炎酵素剤、消炎鎮痛剤等の投与を受けていたことが認められるけれども、同原告が本件示談契約当時ノイローゼ状態にあったとの点についてはこれを認めるにたりる的確な証拠がなく、前認定のように本件示談契約は原告側に親類の者も加わり慎重に検討した結果締結されたものでその無知、無思慮に乗じて結ばれたものとも認め難く、かつ前認定のように本件事故の発生については前記昭三にも少なからざる過失があって原告らの損害額を定めるにつき斟酌されるべき事案であり、他方労災保険の遺族補償年金等が給付されている点からすると、本件示談契約の内容が契約を無効ならしめるほどに著しく不当であるとも認め難く、原告らの公序良俗違反の主張は到底採用し難い。

四  本件示談の効果

被告らはまず本件示談はいわゆる不起訴の合意をなしたものであるから、右に違反してなされた本訴は不適法な訴として却下されるべきであり、仮に右主張に理由がないとしても本件示談において原告らは実体上の賠償請求権を放棄したものであるから原告の本訴請求は理由がない旨主張する。

ところで本件示談は、佐々木昭三の死亡に伴う被告らの原告らに対する賠償問題について、被告らが原告らに金三〇〇万円を支払うことで一切解決し、それ以外に原告らから被告らに対して賠償請求をしない旨合意したものであることは前記認定の本件示談成立の経過及びその示談内容に照し明らかで、乙第一号証(甲第一号証)の示談書中にある「原告らは金銭の受領により、本件のことに関し、名義の如何を問わず金銭の請求はもとより、訴訟等一切しないこと。」との条項も、本件示談で支払われる三〇〇万円以外に原告らは如何なる名目、方法によっても賠償金の請求をしないとの趣旨であって、実体上の権利の存否にかかわらず訴訟を提起しないというような単なる不起訴の合意ではなく、本件示談で合意した三〇〇万円以外の損害賠償請求権を放棄する趣旨の合意と解するのが相当であるから、本件訴の却下を求める被告の本案前の申立は理由がない。

五  してみると、本件事故に関する原告らの被告らに対する損害賠償請求権の問題は本件示談により一切解決済であって、原告らは被告らに対し、本件示談で支払をうけた金三〇〇万円以外の請求をなし得ないものであるから、その余の判断を待つまでもなく原告らの被告らに対する本訴請求は失当といわなければならない。

六  よって、原告らの本訴請求はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤和男 裁判官 後藤一男 宮岡章)

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